THINKING MEGANE

わかるとわからないの間

元来が完璧主義である.理解できない場合にはレイヤが異なっていたとしても大部分がソースコードやプロトコルとして定義されていて掘り下げて調べていくことで挙動が把握できるようになるソフトウェアエンジニアは性に合っていた. ところがここ数年は推薦システムに興味を持ち,あまつさえ研究として取り組もうとしたものだから,人間の認知プロセス解釈の果てしない旅に途方に暮れてしまった. 理解できていない状態が自信の無さを招き,自説を守りきれずに論文を落とした.

それでも対象の推薦システムの実装やKaburayaの構想を進める中で,現状把握できる部分的な情報や結果を元に適応していくアプローチが十分有効になり得るのではないかと思え始めた. このようにある意味「わからない」を取り扱うアプローチは,工学的な方法だと一般的なのかもしれないが,多くの部分を把握できる可能性があるソフトウェア分野の経験からは新鮮であった.

今は,とにかく提案システムの有用性を示していく段階ではある.ただ,「わからないから進めない」を脱することができたことが素直に嬉しい. さらには,起点を作れたことで「わからない」分野に対して挑む方針も固まってきた.「わかるために進む」のは気持ちが良いものだ.

わからない場所に踏み込む.本当にいつも遠回りばかりしている気がするが,ようやっと研究の入り口に立てたのかもしれない.


もちろんソフトウェアだからわかる,人間だからわからないというのはいささか短絡的である. 単純なものから複雑なものへの発展の経過を追うことが可能であるがゆえに理解ができているのであって,ソフトウェアであっても巨大で変化の激しいシステムは経緯を含めた全容の理解は困難になる. 反対に人間の認知であっても高次の抽象レベルのみで正確な疎通が可能な概念であれば相互理解は可能であろう.

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