ペパ研から研究をはじめてジャーナルでのアクセプトまでいけた日
先週の6/22、初めてジャーナルの採録通知をいただいた。
大学は情報系ではなく、大学院にも行っていないので、研究なるものを始めたのが、ペパボ研究所に入った2017年1月から。3年半もかかってしまった。
元々、サービスの運用開発をしていた経緯もあり、2017年の前半はその延長で研究報告を2本書き切った。 初めての研究報告は、論文の型みたいなのを徹底的に教えてもらえた。 今も執筆時に気をつけるところのほとんどはここで教えてもらったことが根底にあると思う。 2017年の後半から、研究の内容自体も「すごいもの」にしようとした結果、迷走が始まる。 自分のやってきたことを深堀するわけでもなく、先達の研究を調べるわけでもなく、自分の能力を高めるわけでもなく、ただ、目新しいことに挑んでは当然のように跳ね返され、焦りから近道を探し、悪循環に陥る。 研究所内で、(今にして思えばほぼ八つ当たりな)相談したり、WSA研でいろいろな人の研究に対する考え方を聞きながら、自分の中の蓄積や道標をきちんと整備していかなければと考えるようになった。
2018年は、アドバイス制度を利用して初めてジャーナル投稿に挑戦した。 当時としては全力で取り組んだ論文はあらゆる直接的間接的な表現で「よくわからないです」とアドバイスをいただき、心砕け撃沈した。 まだまだ付け焼き刃な研究は、専門性に対する脆い知識や理論構成であり、指摘に対して一気に瓦解する。 やれることは、専門性を高めることだけなのだが、分野のあまりの広さ・難しさに途方に暮れていた。 この時期は、指摘をまだアドバイスと見なすことができず辛い時期であった。
2019年の前半は、転換の兆しが見えたが苦しい時期でもあった。 わからないなりに勉強を続け、サーベイを進めた。 自分なりの方向性を見つけ、評価し、効果がある研究ができた。 それでも相変わらず研究報告を上手く書けない。 文章として形が見えていく中で、新しい前提や課題が明らかになり、議論は活発になる。 当たり前のことであり、むしろ喜ばしいことであるのだが、どこかで形を決めなければならない。 この時期は、これは、もっといけるはずだという期待に応えたい気持ちとそれを時間内に解決できない自分の無力感で悪循環に陥ることが多かったのではないかと思う。 そして、この時期の振り返りで、自分と向き合った結果、「結局は、無能だと判断されたくないだとか、集中することができれば大きな成果を出せるはずだとか、心の奥底に対外的な評価が中心に据えられて、自己評価とのギャップと相まって動けなくなっていたことが原因だと思い至」った。
2019年の後半、これを踏まえ冷静になりつつ、いろいろな人に助力をいただきながら、前に進んだ。 学術系ではないがGo言語の国際カンファレンスのトークセッションに採択された。 ポスターセッションではあるものの学術系では初めて査読ありセッションで採択された。 ジャーナルへももう一度挑戦した。結果はリジェクトであったが、査読者の判定は、条件付き採録と不採録で別れ、メタ査読者からは前半(研究の前提や既存研究に対する位置づけ)は非常に読みやすいとのコメントをいただけた。 後半の提案手法やその評価について、アーキテクチャ含め更新、年内にまた別のジャーナルに提出へこぎつけた。
2020年、3月にその論文が条件付き採録となり、これに応えて晴れて採録通知を受けたのが先週。 「ペパ研から研究をはじめてジャーナルでのアクセプトまでいけた日」は研究所の所長が言ってくれた。 本当にそうだなあとこれまでのことを思い返して、泣けた。 今にして思えば遠回りばかりして、勝手に袋小路に迷い込んで非効率極まりない反面教師の塊だと思うけれどもこの過程と振り返りがなければ、今の研究もできていないだろうし小さな人間のままだったかもしれない。 これからまた難航することがあるかもしれないが、今はこの経験が今度は乗り切れるのではないかと思わせてくれる。 なんにせよ、自分のような人間が、ジャーナルを通せるところまでたどり着くことができたのは、ひとえに見捨てずに見守りアドバイスをくれ、相談に乗ってくれる周りの方々のおかげです。 遠回りばかりしていますが、これから、改めて巨人の肩に乗ることから逃げずに真摯に向き合い一歩づつ精進していこうと思います。
今年は他にも、研究チームとしての側面も取り組んで、研究報告ではあるが、はじめて2本ラストオーサーを務めた。 研究所での論文読みや勉強会などの新しい習慣も定着し、今後が楽しみ。 また、自身の研究も前進させ、ジャーナルのアドバイスもうまく取り込めていると思う。 国際会議なども狙っていきたい。 そして、博士課程に挑戦することにした。 まだ結果はわからないが、これまで模索してきた取り組みを加速できると良いなと思う。