THINKING MEGANE

ペパボに入って12年が経った。気付けば博士になっていた

先月、博士(情報科学)の学位を取得した。

12年前、福岡 おもしろい it 会社と検索をして、株式会社paperboy&co.(現GMOペパボ株式会社)に運用開発エンジニアとして転職した時1からすると、予想だにしなかった状態である。 転機は2017年1月だった。 ペパボで切磋琢磨できる仲間に恵まれ、OSS活動や登壇を通したアウトプット、社内での成果を自負する一方で、社内でもレベルの高いエンジニアとの仕事の機会を通して、自分の限界も感じ始めていた。 そんな折、研究所の所長から研究職への打診があった。 確か、当時進めていたログ活用基盤の構築とその内容の研究所のコンセプトへの親和性からだったように記憶している。 感じていた限界を「コンピュータサイエンス」ってやつや「研究的アプローチ」ってやつで突破できるかもしれない、研究って何もわからないけれども何とかなるだろう、渡りに船だとばかりにこの誘いに乗ることにした。

結果、丸々二年間、滑稽なぐらい迷走した2。 「研究」をするぞと意気込みは空回りし、研究所の同僚からのアドバイスも虚しく、納得する成果を出せずに時間だけが過ぎ、短時間で効果が出るものを求め悪循環が始まった。 元来の己の精神的な弱さ、四十歳前後という年齢特有の焦り、人生最高潮に達したあらゆるものに対する固執が目を曇らせ、足を引っ張った。 長く暗い時期だったが、ほんとうにほんとうにありがたいことに、さまざまな人に支えられ、何度も内省を進めることでかろうじて持ち直していった。 研究所の同僚、エンジニアと研究者が集うWSA研3、研究者の先輩方、そして家族には感謝の念が尽きることはない。 それでも距離をおくことを選択した縁もあり、たくさん迷惑をかけてしまった。

「研究」は難しい。 これは高度という意味での難しさではなく、ソフトウェアによる課題解決とは目的が違うことに起因する難しさについてである。 博士課程を終えて、研究とは「人類が新たに学べる領域を作り出すこと」であると考えるようになった。 すなわち、ソフトウェアによる課題解決は、目的に連なる目標のうちの一つであり、その解決も含めて、新たに学べる状態に仕上げねばならない。 そして、後進が学べる状態であるには、どこがこれまでの方法と異なるのか、どれぐらいの効果があるのか、それらが主張とその裏付けという形で明確に述べられたかといった要件に落とし込まれる。 これは、論文における「新規性」「有用性」「了解性」の観点に対応し、論文を記述する際には、これらの観点を満たすための様々なサーベイやライティング手法を駆使して臨むことになる。 そのような過程を経ることで初めてそのアウトプットは、未来の誰かの手による学べる領域の更なる拡大を支えていくことができる。 落とし穴は、ソフトウェアによる課題解決を目標ではなく目的に据えてしまうことである。 ここに陥ると、課題の解決こそが研究であり、課題解決のみで研究であるためには、大層な水準の課題を解決せねばならないとなりかねない。 自分が最初に躓いたのはここではないかと思う。

この頃の自身の振り返りを読むと、感情との付き合い方4の他に、研究とは何かを手探りで模索している様子が見て取れる5 6 7。 解決したことを伝えていかないといけないのだな、そのためにはたくさんの根拠を示さないといけないのだな、だから一朝一夕じゃ無理で時間をかけて向き合うことが必要なんだな、程度の理解度ではあるものの、この辺りから前に進み出したのだろうと思う。 2020年6月に初めてジャーナルの採録通知を受け取り8、10月には社会人学生として九州大学大学院システム情報科学府博士後期課程へ社会人学生として進学した9。 進学の後押しも研究所の所長だったと思う。 これまでの経緯もあり、及び腰だった自分に「研究職続けるなら博士号はあった方がいいし、いずれは取るのだから最短で効果が出せることをやったらいいんじゃないですか」と言われ、それもそうだなと挑戦を決めた。 暗中模索の中でも進めていた十本弱の研究報告やジャーナルの実績をもって修士を飛ばしての出願と入学が認められたこともあり、積み重ねは無駄じゃなかったなあ、ようしやるぞとここからは順風満帆。 といかないのがいかにも自分らしくて思い出しても苦笑してしまうのだが。

博士課程の修了には一定数の実績が必要となる。 自分の場合は、在学中に国内ジャーナル論文をもう一本、一定水準以上の国際会議での採択が一回が最低基準であった。 国内ジャーナルこそなんとか通せたものの、国際会議については、2021年5月の初投稿から丸二年、七回目の挑戦にしてようやくの採択となり長い我慢の時期を過ごした10。 そんな中、指導教官は一貫して、研究という最短ルートはない道程において、同じ道を回ることなく、常に何かしらの前進という成果を得るためのアドバイスを与えてくれたと思う。 それは例えば「難しいものと認識した上でそれに挑戦する喜び」であったり「ダメだった場合は改善してただ次に行くだけ」であったり、「自分で決めて悔いのないように進む」こと、そして「結果に対して本質的な面白さを見出して言語化し、これまでの取り組みと有機的に関連づけていくこと」などである。 博士課程という自分の研究の型を体得していく中で、指導教官の存在は本当にありがたいものであった。 指導教官は、分野の専門性が重なっていることが望ましいが、それ以上に相性があると思うので、できれば共著を先に一度執筆するなどコミュニケーションを取れると良いと思う。 幸い、自分の場合は、進学前の共同研究の際に知り合うことができたのでこの点でも恵まれていたと思う。

とはいえ、博士課程は、自身で主体的に研究を推進しなければならない。 これは、博士課程が「人類が新たに学べる領域を作り出すこと」という研究を達成する、「その方法論を、特定の研究テーマに基づく実践を通して身につける課程」だからだと思われる。 新たに学べる領域を作り上げているのであるから、指導教官にとってもわからない部分を切り開いていくのであり、そしてその開拓の方法は、自身でやり方を模索していかなければならない。 主体性については、能動的に動くことが前提の社会人であれば特段問題にならないかと思う。 博士課程での大変さは、この研究を推し進めるやり方の模索に対するフィードバックが、アウトプットに対してのみ得られるという点だったと思う。 それは主に査読結果や、国際会議での発表に対する議論の形を取るが、いずれにせよ論文の形にまとめる必要がある。 これは研究を学ぶには研究をしなければならないという構造であり、研究テーマ自体も発展させなければならないことも相まって、随分鍛えられたと感じている。 幸い、指導教官のアドバイスはこれに即したものであり、博士論文に着手する前の三年間で研究報告や不採択のものも含めると十六本、おおよそ二、三ヶ月に一本は何かしら研究成果を出して論文執筆していたことになる。 成長が遅いのは仕方ないとはいえ、研究開発員として、事業への貢献も求められる中でも諦めずに課程を継続したことは自分を褒めてあげたい。

2024年4月には、追加でもう一つ国際会議に採択され、最終的に、入学前のジャーナル論文と合わせて計四本の実績をもとに、学位申請のための博士論文を執筆した11。 博論の執筆では、これまでの実績を「人類が新たに学べる領域」として再構成する。 四本の論文の整合性を取りながら、領域の世界観の確立も必要で、非常に難易度の高い執筆であり、実績達成以上にまだ大変な工程が残っているのかと驚いた。 しかしながら、この工程を通して初めて、ボトムアップな進め方であった自身の研究テーマに対し、トップダウンからの位置付けを与えることができたように思える。 実際に、自身の研究観である「人類が新たに学べる領域を作り出すこと」というのもこの段階を経て感じるようになった。 これまで各論文においても「新規性」「有用性」「了解性」の観点を満たせるよう突き詰めてきたが、複数論文をまとめる中で、それぞれの点が関連し、補い合う形で(まだ非常に狭いながら)初めて領域として形をなしていったように思う。 なお、世界観の確立については、ペパボ研究所のコンセプトである「なめらかなシステム」についての、所長との数年間に渡るディスカッションが非常に役立った。 このようなハイコンセプトな思考だけでなく実践的にも抽象的にも自在に観点を行き来しながら多面的に研究を見直す機会があるのがペパボ研究所の長所だと思う。 博士課程を考えている方はぜひ検討してほしい。 その後、公聴会を経て、2024年9月25日付けで博士(情報科学)の学位を授与された。 在学は四年間。 標準年度の三年には間に合わなかったが、なんとか修了に漕ぎ着けることができて安堵している。

さて、ここまでして博士課程を終了する必要はあったのか。そしてこれからも研究をする必要はあるのか。 サンクコストを差し引いたとしても、自分自身としては「はい」と答えたい。 「課題解決」と「研究(新たに学べる領域を作り出すこと)」は相補的な関係であり、それぞれの存在がお互いを必要としていると思う。 また、特にソフトウェアやエンジニアリングの分野においては、それぞれは明確に分離している訳でもないと思う。 研究的なアプローチによって、同じ課題に対しても体系化・一般化・言語化・比較整理などを通して、多面的に捉え直し、新しい観点からちょっと面白い発想が出るかもしれない。 研究による成果物によって、ある課題に対してある状況において有用な方式を広く適用できるかもしれない。 その方式がうまくいかない場合も、理論的な裏付けもしくは再現可能な部分評価を元に、そこから学んで最短で適用できる改善を思いつけるかもしれない。 学べる状態にするのは手間がかかる。 それでもどこかの誰かの巨人の肩になるのだと信じて、研究というのを仕事にする人がいても良いのではないかと思う。

もちろん、企業研究所に所属する研究員としては、より実践的に、博士課程で得たスキルを早速活用していきたい。 改めて、博士号を取得したということは、不確実で混沌とした課題領域においても、比較・体系化・言語化を通して、誰もがその課題を共有し、時間をかけることなく効果のある対策を講じられる基盤を整えられるスキルを持つ、すなわち、学べる領域を作り出せる人材であることが期待されるようになったのだと思う。 今後は、自身の研究テーマの推進はもちろんのこと、さまざまな施策において、所属する研究所のミッションである「研究開発により『事業を差別化できる技術』を生み出す」ことができるよう、さらに精進していきたい。 そして、これまで辛抱強く支えてくれたペパボに恩返ししていきたい。

ペパボに入社して十二年。 タイトルの「気付けば」も大袈裟ではなくて、特に研究職になってからは時間が飛ぶようにすぎていった。 それでも、いろんなことがあったけれども、誰かと比較してではなく、過去最高の自分に仕上がっているというのは四十三歳にしては悪くないのではないか。 これからも「虚仮の一念、岩をも通す」の精神で頑張っていきたい。

お知らせ

僕のキャリアを支援してくれたことからも分かるように、GMOペパボ株式会社はどうすればインターネットを面白くできるのか、これを真面目に考えてさまざまななやり方で取り組んでいます。 研究開発的なアプローチに対してでも良いですし、事業に対してでも大丈夫です。 こんなペパボに興味持たれた方、もっと雰囲気知りたい方、お気軽にお声がけください。

ペパボ研究所

参考


  1. ペパボに入って4年が経った ↩︎

  2. 2017年, 12月のライオン ↩︎

  3. WSA研 ↩︎

  4. 理性の人 ↩︎

  5. わかるとわからないの間 ↩︎

  6. 論文執筆の道しるべ ↩︎

  7. 2019 ↩︎

  8. ペパ研から研究をはじめてジャーナルでのアクセプトまでいけた日 ↩︎

  9. 九州大学大学院システム情報科学府博士後期課程に入学します ↩︎

  10. 社会人大学院生の七転び八起き国際会議奮闘記 ↩︎

  11. 博士後期課程を修了し、博士(情報科学)の学位を授与されました ↩︎

このエントリーをはてなブックマークに追加